原作の佐木隆三「身分帳」はまだ途中なのであったー
というわけで2回目の鑑賞。
一席空きではありましたが、満席でした。上映最終日(4月29日)というのも理由の一つかな。コロナ禍といえども、いやあえてこそ、人々は映画を求めるのであったー
PKさんが、この映画を観た後しきりに真似していた「娑婆は我慢の連続です、我慢の割に、、、でも、空は広いちいいますよ」by姐さん役木村緑子さんのセリフはやっぱりしみたー泣けたー
ウォーキングコースになっている、とある公園横のアパートに、夕方になっても洗濯物が取り込まれていない部屋があって、そこを見るたびに、わたしは勝手に三上さんが住んでいるんじゃないかと想像してしまう。
映画のラストシーンがよぎるのである。
三上のような人間が身近に現れたら私はどう接するだろうか?
色眼鏡で見てしまわないだろうか?
身元引き受け人の弁護士夫婦、スーパーの店長、保護課の職員、フリーのライター
彼らの行動がわたしに問いかける。
三上の就職を心から祝福できる人間でありたい。
ほんの少しの交わりや会話だけで生きていてよかったと思える日がある。
仕事が決まった時の気持ちを「シャブうったみたいや」と三上は表現した。
うったことないけど、なんかわかる気がした。
初めて認めてもらえた、必要とされた、明日が怖くない、どこまでも走って行けそうな疾走感。
「わたしたちは案外いい加減に生きているものよ」
真っ直ぐで短気な三上に梶芽衣子さん扮する弁護士の妻が言う。
「カッとなったら私たちのことを思い出して」と。
この映画は三上の周りの人々を描いた話でもある
いわゆる世間、いわゆる国民を描いてみせる
案外冷たいし、案外捨てたものでもない
も介護施設の職員も新聞配達員も教習所の先生もわたしもこの娑婆のいち構成員として生きている
はみ出てしまう者の存在を無意識になきものにしてしまっていないか
空から見ればぜんぶおなじ地上に存在しているのにね
花瓶に花を生けたい
雨を感じたい
生き物を大切にしたい
そんな気持ちになりました